ついつい誰かを攻撃してしまうとき




ついつい誰かを攻撃してしまうとき

ども、心のよろず屋とくさんです。

今回はついつい相手を攻撃してしまうとき、心の中では何が起こっているのかを書いてみますね。

なぜ他者を攻撃してしまうのか?

以前投稿した「鏡の法則」に書いた「投影」と関連するのですが…

人は抑圧した感情やネガティブな条件付けを持っていると、その抑圧した想いが次にするのは大抵は攻撃です。

抑圧すると言うことは、その感情や思いを自分で見たくないと思っているのですが、都合のいいことに、相手を攻撃している間は、自分のその感情や想いと向き合わなくてすみます。

人は自分の生命の死に対する恐れと、自分の価値の死に対する恐れがあると書きましたが、簡単に言うと、自分に価値がないと言う想いを見たくないために、相手を攻撃してしまうんですね。

私はこんなに辛い想いをしているんだから、あなたはこうあるべき!みたいに、一見正当な主張をしている様に感じますが、その自分の辛さをアピールしていることが、相手の批判や攻撃に変わっていることに気づいていない方も多いですよね。

つまり、その恐れから自分を守るために、攻撃に転じるといってもいいかもしれません。

そして、その攻撃は自分を守る必要性が高くなるほど、激しくなるでしょう。

例えばこんな時

仕事のやり方に自信を持っていて、自分はこれがベストだと思っていたとします。

それを上司に、あなたのやり方はちょっとおかしいんじゃない?と否定されたとしましょう。

(例えが雑ですいませんw)

このケースで、「私は否定されるのが怖い」の様に、

「私は否定される」と言う自分に対するネガティブな条件付けに、

「怖い」と言う感情がくっついているとしたらどんな反応をするでしょうか?

やっぱり私はダメ(否定される)なんだと自分を責めてしまうパターンもありますが、

この怖いと言う感情を感じたくないために、いいや、私は間違ってなんかない!と相手に直接対峙し、激しく喧嘩する方もいらっしゃるかもしれませんね。

でも、これはまだ自分の意見を言えていますけど、この場合上司なので、反論できずついつい陰口や不平不満を言ってしまうこともありますよね?

これも、ある種の攻撃です。

そう言った陰にあるのは、自分の価値を守るための防衛でもあり、怖いと言う感情を見ないで済むための攻撃です。

この攻撃は、対人関係にとどまらず、社会的なことにも見られます。

自分の生活が辛いのは、自分の能力がないのではなく、社会の仕組みのせいだ!みたいなこともそうですよね。

いつだって、出来事に意味をつけているのは自分の思考でしかありません。

善悪判断(ジャッジ)をしてしまう

自我には、心地の良いものを「善」とし、心地の悪いものを「悪」とする傾向があります。

変なたとえですが、天気の良い日は心地がいいですよね?

だからみなさん晴れの日はとっても嬉しいですよね?

でも、晴れの日続きだったらどうでしょう?

良い加減暑いな〜とか思ったり、雨が降らなければ、農作物も育たないし、水も枯れてしまいます。

すると、今度は雨を欲します。

雨が降ることが良い事に変わります。

おかしいですよね?

価値観が真逆に変わっています。

この様に天気と一緒で、出来事は常に移り変わっていくだけなので、その状況に対してジャッジしてしまうことは、人により、状況により、真逆になってしまうほど、固定された価値観などはなく、全く意味のない事なんですよね。

不足感と罪悪感

自我にとっては、普通でいることが「なんか足りない感じ(不足感)」がして、そんな自分は「なんかいけない感じ(罪悪感)」がするんですね。

なので、今の自分はダメな感じがして、今より、より良くなるために努力します。

それが叶わないと、様々な依存の形態をとることもあるのですが、ほとんどはこんな自分は悪いと思い込み、その想いを抑圧する構図が出来上がります。

そういった抑圧した想いが、例えば、こんなに努力している、我慢している自分がいるのに、なんの努力せずに、我慢しない人の姿を見ると(投影)どうでしょう?

なんか悔しくて、イライラしてしまったり、その人の陰口を言ったり、辛く当たったりしてしまいませんか?

悪い自分もOKと思える様な見方が出来れば良いのですが、なかなかそれはできません。

なので、ダメな自分を認めたくないので「抑圧」し、その抑圧しているダメな想いを持っていると見える人にその姿を投影をし、攻撃をしてしまうんですね。

守る自分がないと平和

僕がいつもサットサン や内観法などでお伝えしているのは、「私はいない」と言うことなんですが、私がいなければ、出来事に意味をつけることはないので、出来事や状況をそのまま素直に観ることができます。

つまり、私がいないので、私の価値観を守る必要性がないから、平和なんですよね。

出来事に因果関係を持ち込まないので、誰が悪いとか、そう言った思考は湧いたとしてもすぐに消えてしまいます。

僕もツイッターなどをやっていますが、インターネットなどで、批判や攻撃をしている状況を見るたびに、その方々の持っているであろう抑圧した感情や信念は何かな〜と見てしまうのですが(笑)

ほとんどは、「自分は正しい」と「あなたは間違っている」と言う様なことの応酬ですよね。

そんな時、自分自身はどんな自分の感情や想いを守るために、その様な攻撃に出てしまったのか?と言うことを、ワンクッション置いて紙に書いてみるといいかもしれません。

また、攻撃されて苦しい人は、攻撃された時に、どんな感情や想いが湧いてきたのかを、紙に書いてみるといいかもしれません。

どちらのケースでも、自分に対して抑圧している感情や、ネガティブな条件付けがあるから、攻撃してしまうし、攻撃された時に苦しみを感じています。

守るものがなければ、誰かを攻撃することはありませんよね?

また、守るものがなければ、攻撃されても怖くないですよね?

この辺りのことはとってもデリケートなので、文章では書ききれませんし、今回記事にした例などは、あくまでもごく限定されたケースの例えです。

実際には様々なバリエーションが人の数ほど存在していますので、なるべくわかりやすい様に書いているつもりですが、何か気になる方はご相談いただければと思います。

今回の記事も、攻撃することが悪であると言うことではありません。

攻撃することに苦悩を感じているなら、その抑圧された想いを探してみましょう!と言うことですし、攻撃されて苦悩を感じているなら、同じ様にその状況に反応してしまう、抑圧された想いを探してみましょう!と言うことです。

そこに苦悩がないのであれば、そもそも争いはありませんよね。

僕はなるべくたくさんの方に心の仕組みを知って頂き、楽になって頂きたいと思っていますが、極論や曲解して欲しくないので、一番大事なことがあるので覚えておいてください。

心身ともに、とっても自分が苦しい時、そして、自分が危険だと感じるならば、断固として、今すぐそこから逃げる!誰かに相談する!と言うことは忘れないでいてください。

時に攻撃するものありでしょう。それも大切な反応ですよ!

と言うことで、今回は「ついつい誰かを攻撃してしまうとき」でした!

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