『それ』と言うもの〜ハートの目覚め〜




『それ』と言うもの

〜ハートの目覚め〜

ども、心のよろず屋とくさんです。

今回は、『それ』と言うもの〜マインドの目覚め〜に続き、ハート目覚めに関してのいわゆる『悟り』について書いてみます。

※この記事は2018年11月22日時点での個人的な気づきに基づいていますので、今後また変化する可能性はあります。その際はまた更新していきますね!

マインドの覚醒

以前「悟りって3パターンあるよね」でも書きましたが、今回のお話はハートの覚醒に関してです。

『それ』と言うもの〜マインドの目覚め〜で書いた通り、非二元の教えを簡単に解説すると、

簡単に言うと、悟りとか目覚めと言われているものと言うのは、自我の視点から、真我の視点に視座が転換することです。

自我とは、五感、つまり感覚と感情と思考の全てが、実は現れては消えるものだと腑に落ちて、自分と言うものが実は存在していないと言うこと。

そして、その感覚や感情、思考のあらゆるものに『気づいている意識』『体験しているもの』、つまり『真我』が私たちの本質であると腑に落ちて理解することです。

つまり、真我の視点に視座が転換すると、そこにあるのは、静寂で平安で幸福な今があると言う感覚です。

思考ですら、現れては消えていくもので、実在しない幻想であると理解すること。

そして、常に今ここの静寂、気づきの意識に寄り添っていくと言うのが、マインドの覚醒と個人的に定義しています。

純粋な自我(本当の私)

ここからは、『それ』と言うもの〜マインドの目覚め〜とは真逆のことを書いていきますので、完全なパラドックスですが、なるべくわかりやすく書いていきますので付いてきてくださいね!(笑)

ハートの目覚めに関しては、僕自身もごく最近腑に落ちてきたものなのですが、思考(自我)は現れては消えていくものと書きましたよね?

でも、この思考(自我)って、ただの幻想で片付けて良いものなのでしょうか?

私たちがこの世に生を受けてから今この瞬間まで、様々な体験から自分を定義づけてきた、この「私」とは、本当に現れては消えていくだけのもので、本当に意味のないものなのでしょうか?

確かに、今ここの静寂に寄り添うと、ホンワカとしたそこはかとない幸福感に包まれます。

そういった静寂に寄り添うことが自分にとっての幸福であれば、マインドの目覚めで完結し、その後の人生も幸せに暮らせることでしょう。

実際、僕が出会った事のあるマインドが覚醒している方々の中には、そのような温厚で素晴らしい方もいらっしゃいました。

しかし、多くの方はこの状態に違和感を感じるのではないでしょうか?

はっきりいってしまえば「つまらない」。

これをマインドが覚醒した方は、「それも自我の好む特性だ」とし、排除することもあるでしょう。

そこにとらわれると、「またエゴを強めてしまうよ」とか言うのはよくある話かもしれません。

僕もしばらくの間ずっとそう思っていました。

でも、私と言う夢から目覚めた後に、この現れては消える思考という私の人生を生きる上で、ずっとそれを続けていくということに違和感を感じていたんですね。

そして、ハートの目覚めに気づいたんです。

自分を知り、自分を定義づけていることをとことん知っていくと、純粋な自分の性質というものが現れてきます。

これは定義づけなく、ただ反応する思考や感情です。

ここではこれのことを「純粋な自我」と呼ぶことにしますね。

「本当の私」と解釈してもいいかもしれません。

逆分離

マインドの目覚めでは「思考と言う自我の私」から目覚め、真我である気づきの意識に寄り添うことで「私と世界」と言う分離した構図から、「世界と言う私の中で私を体験している」と言う視座の転換が起こったと思います。

つまり、私(自我)を見ているのが私(真我)と言う感覚ですね。

これをある程度続けていくと、自分自身の分離した自我の様なモノがまだいることに気づきます。

そして、ただ在るを続けていくと、その都度それも解消はされますが、度々分離した自我の様なモノが現れてきます。

つまり、苦悩が終わりません。

実際には苦悩ではないのですが、このプロセスが分離を引き起こすので、苦悩と感じてしまうのですね。

視座が転換しても、今度は逆の分離が発生しているような感覚です。

思考が現れては消えるものだとすると、いつの間にか、その現れては消える思考と、気づいている私と言う感じで、分離しているんです。

ややこしいですね(笑)

ハートの目覚めとは?

僕の定義するハートの目覚めとは、この純粋な自我を愛し育むことであり魂の覚醒です。

それは、不足感を補うための「欲求」ではなく、そのような分離した私(自我)から目覚めた、純粋な自我、本当の私の魂が望む人生を生きること。

言うなれば「純粋な自我と真我の融合」です。

純粋な自我(本当の私)は魂の現れといってもいいかもしれません。

それは決して、現れては消えていくだけの儚い存在ではなく、私たちの本質を映し出している重要な現れです。

これを見逃してはいけません。

私たちは、この物理的な世界に生まれた瞬間から分離しますが、もしただ在るだけのワンネスの状態であれば、時間も空間もないのですから、その私たちを知ることは不可能ですよね?

なぜこのような世界なのか?は、全くもってミステリーですし、これに関して想像を膨らませることは、それこそ分離を助長することなのでナンセンスです。

でも、この奇跡をただ在るで終わらせていいのでしょうか?

この純粋な自我が望むことも、ただの幻想なのでしょうか?

否!

あなたの純粋な自我、この魂が望むことはなんでしょう?

今ここの静寂に寄り添うだけではなく、あなたの魂はもっと躍動したがっていませんか?

ひとたびマインドが目覚めたのなら、次はハートに目覚め、この今ある「生」を「魂」を解放してみましょう。

直感に従う

人生を生きる上で、気づきの意識に寄り添うだけでは、私たちの「生」を旅する道しるべが無いに等しいですよね。

そこで、人生の指針となるものが「直感」です。

それは思考を挟まない、自我を介さない、私たちが気付く前の、思考よりももっと前に存在している私たちの本質が持つ魂やハートの想いです。

これに声を傾けましょう。

自我が強いと、何かをする際に思考がジャッジをしてしまい、本来目的を達成するための道具である「思考」が、目的達成の判断をし始め、目的達成を阻止してしまうという状況に陥ります。

何かをやる際に、これやりたい!と思っても、でもあれもないしこれが足りないし…などと言って躊躇するというのは、こう言った状況に陥っています。

でもそうなってしまうと、あなたの純粋な自我、本当の私の魂が望んでいることは達成されません。

特に幼少期にネガティブな体験を繰り返したり、ショックな出来事が起こると、自分の本当の想いを達成できなくなります。

これが繰り返し起こった結果が、人生の苦悩を生み出すトラウマやネガティブな条件付けなんですよね。

ですから「苦悩」とは「純粋な自我」、「本当の私の魂の想い」を抑圧されたことで生じると言っても過言ではありません。

その抑圧が投影を生み、恐れを生み、直感を思考がジャッジしてしまい、人生を苦しくてつまらないものに変えてしまうんですね。

この辺りの心の仕組みはブログでも書いてきたと思います。

直感のままに生きられないのであれば、それは自分自身を知り、自分の抑圧したものや投影を解放する必要がありますので、内観や瞑想、カウンセリングを受けるのをお勧めします。

ありのままで引き寄せる

引き寄せの法則って聞いたことあるがある方も多いのではないでしょうか?

つまり、深層心理で思ったことが現実に起こると言うやつです。

でもこれって自分の深層心理の中で、ネガティブな条件付けをしていると上手くいかないので、失敗したと言う方も多いのではないでしょうか?(笑)

例えば、お金持ちになりたい!と言う想いの裏には、その想いよりももっと強烈に自分を定義づけている、私は貧乏だ!と言う決心があるとか…

なので、私はお金持ちになる!とか、私はお金持ちだ!と決意できればそのようになるってやつですね。

で、実はこの引き寄せの法則って、ハートの目覚めをテクニックでやるものなんですよね。

ハートが目覚めると、勝手に引き寄せます。

純粋な自我の望むまま、本当の私の魂が望むままに、直感で生きると言うことは、本当に素晴らしいことです。

思考は現実化すると言う言葉もありますが、文字通り、この超リアルなVRの様な世界を体験している私が、この世界を作っているのです。

ですから、どの様な現実に現れる現象も、ただ現れては消えるだけの様に見えて、抑圧すればそれを投影した世界が広がり、本当の私の魂が望むことを実行すれば、その通りの世界が広がります。

つまり、私が私の望む世界を創造出来るんです。

世界を自分が創造する

いかがでしょうか?

僕の定義するハートの目覚めとは、こんな感じです。

ただ、マインドが充分に目覚めていない状態でハートで生きようとしてしまうと、ありもしない世界観を作り上げたり、それこそスピリチュアルな世界や指導者にどっぷりハマって、他人にコントロールされてしまうなんてことあります。

実際に前向きなメッセージを発信している方々の中には、メルヘンやファンタジーの世界の住人になりきっている方も多く見受けられます。

なので、個人的には、まずはマインドに目覚めて、その後にハートを育てていくのがいいのかなと思っています。

事実(真実)と解釈(ストーリーや想像)をしっかり分けると言うのが重要だと思いますよ。

もちろん、その上で確信犯になるのもあり、事実のみを見ていくのもあり、本当の自分の想うままに生きるならなんでもOKです。

「私」の世界を作るのは「私」でしかありませんから、人がどのような世界観で生きていようと僕は尊重はします!

と言うことで、今回は『それ』と言うもの〜ハートの目覚め〜でした!

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