マインドとハートのバランス




マインドとハートのバランス

ども、心のよろず屋とくさんです。

今回はマインドとハートのバランスについてです。

マインドとハートの関係

まだマインドに目覚めていない自己にとって、

マインドというのは思考。

ハートと言うのは感情です。

マインドが目覚めていない状態では、肉体や感情、思考、また、自分に対するあらゆる経験からの条件付けなどの全てを、自分というアイデンティティとして、つまり自我の「私」として認識しています。

この状態では明け渡しが困難なので、必然的に、自我の私として心が投影した感情が、ハートと認識されていると思います。

どちらもコインの表と裏のような関係で、ハートだけ開こうとしても、どこか地に足がつかなくて、スペースアウトしている方が多いですよね?

そういった方は、人に流されやすく、思い込みやすいため、一見好きなことだけしているようでいて、どこかふわふわとして、実は苦悩から逃げているだけなんてこともよくある話かなと思います。

マインドに目覚めていない状態では、ハートは抑圧したものの投影として感情を表現する事が多いため、ありのままの自分の心を表現しているつもりでも、実は自我の抑圧した感情を自分のありのままの心と勘違いしてしまう事があるんですね。

なので、まずはハートの声を邪魔している、自我の思考に気づき、自分を知っていく必要があるんです。

そうする事で、自我の思考の呪縛から解き放たれ、純粋な自我、本当の私の心に気づく事が出来ます。

よくある例えですが、今までスクリーンに映し出された映像が私だと思っていたけれど、映像を止まると、いつもそこにあったスクリーンが現れます。

このように、私たちの本質は、さまざまなストーリーを映し出す映写機の方ではなく、その映像の背景にずっとある存在であり、常に気づいているスクリーンの方なんですね。

このマインドの目覚めに至る事で、自分というアイデンティティが思考の産物であり、実はその思考すらも、現れては消えるものであると知る事が出来ます。

これは、自分を知るということなので、人によってはトラウマや自分への条件付けをケアする過程で、苦痛を伴うプロセスかもしれません。

しかし、今まで私と思っていた自分は、実は現れては消えるだけの幻想であると見抜くとともに、徐々にそれも気にならなくなっていきます。

つまり、今まで自分だと思っていた自我の私から目覚めるということですね。

そして、今まで自我の思考に邪魔されていて、気づく事が出来なかった、常にある存在、体験している存在、気づいている意識という、ワンネスの静寂や平安に寄り添うこと。

自我の私から、ワンネスである私に視座が入れ替わっていくこと。

これがマインドの目覚めです。

この状態で、悟りとして完結していると考えている方々も多いのですが、多くの覚者さんがおっしゃるように、僕もこの時点ではまだ十分ではないと考えています。

思考や感情もワンネスの現れ

ここからはちょっとややこしくなってきます(笑)

マインドに目覚めると、思考や感情や感覚は全て現れては消えるもので、幻想であると知ります。

そして、気づいている意識、常に体験している存在である、ワンネスが本当の私であると知ります。

その静寂に安らう事で、ハートも目覚める人もいるかもしれませんが、ほとんどの人はこの時点でまだ苦悩が消えません。

それは、それ以後もずっと続いていく出来事に、常に反応している感情や思考があるからなんですね。

自分への条件付けがなくなると、純粋な自我である本当の私の心が現れます。

この本当の私の想いや感情は、マインドに目覚めていた後に、これも幻想だと感じてしまうのはちょっと違うんですね。

ここがちょっとややこしいところなんです。

本当の私の想いとは、幻想である自我の条件付けや投影による想いとは違うんですね。

どちらも実際はワンネスからの現れであることに違いはないのですが…

ハートに目覚めるということは、この純粋な現れである、本当の私の想いに自分を明け渡すということです。

つまりそれは、自分の全てを許し愛するということです。

ここで完全な明け渡しが行われることにより、良い(と思っている)ことも、悪い(と思っている)事も、全て受容出来るようになります。

もちろん、だからと言って、殺人や強盗などの犯罪を受容するということではなく、自分の感情として出てきたあらゆる想いや感情を、それで良いと許すということです。

人を許せなくても、それで今はしょうがないと許すとか、ダメな自分だけど、それで良いと許すとか、そんなニュアンスですね。

この辺りのことは、また次回書いていこうと思っています。

マインドからハートに目覚める

例えば、マインドに目覚める前に、ハートを働かせようとすると、実際にあるものと、頭の中の想像とが、どちらも真実であるように感じてしまいます。

事実と解釈がごっちゃになるということです。

それは、荒唐無稽なファンタジーであっても、心地よいものであれば受け入れてしまうという危うさです。

マインドに目覚めた後に、あえてそう言った幻想や茶番劇の世界に飛び込むのもアリだと思いますが、マインドに目覚めると、実際に現象としてある現れと、頭の中で考えているだけで、現実に現せないものとの違いを明確に知ることが出来るので、あまりそういう方向にはいかないと思っています。

スピリチュアルな世界観にはまって、自分をファンタジーの世界の主人公や登場人物にしたいという欲求自体、どう考えても自我の投影ですよね?

そんなことよりも、本当の私の想いに気づき、今私は何をしたいのかをよく感じる方が大切です。

現象として現すことが出来ないものは、全て思考の産物であり、解釈(ストーリー)でしかありません。

頭の中で考えている解釈(ストーリー)を現象化出来るのであれば、それは事実でしょう。

でも、例えば、宇宙人が現象として人々の眼の前に現れない限り、いないものは出来ませんから、それは妄想や空想といった、解釈(ストーリー)です。

このような感じで、事実と解釈を分けて考えられるようになると、マインドに目覚めやすくなります。

こういったエクササイズは、たくさんの瞑想法や自己啓発などがありますので、ご自分に合ったものを選んで実践してみてください。

と言うことで、今回はマインドとハートのバランスでした。

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