この世は幻想って本当?




この世は幻想って本当?

ども、心のよろず屋とくさんです。

今回は、よくこの世は幻想って言うけれど、それは本当なの?ってお話です。

何が幻想なのか?

この世は幻想だと私(自我)が思うことと、私(自我・思考)が作り出すものが幻想であると気づく事では、意味合いが違ってきます。

ほとんどの皆さんは、この世は幻想と聞くと、自我の視点でこの世が幻想だと思ってしまうか、思い込んでいる方がほとんどです。

でも、実際には、幻想というのは以下の通りです。

つまり、この世界の事象が幻想であるということは、確かに言ってしまえばその通りなのですが、それは、私というもの(自我)があって、私と世界という分離した二元性の世界観が幻想であるということなんですね。

つまりこう言う事です↓

何が苦悩を生むのか?

ほとんどの方は、自分が存在しなくて、この私だと思っている肉体や意識、思考や感情などが、実は現れては消えるだけの存在だと言うことを知ることは困難です。

それは、人が生きる中で、自分自身に様々な条件付けをしてしまうからなんですね。

条件付けとは信念のようなものなので、「私は〇〇だ」のように、そこには強烈に私と言う想いが存在しています。

そして、「それと言うもの」と言う記事の中でも書きましたが、自我と言うものは、「自分の肉体的な死に対する恐れ」と、「自分の価値の死に対しての恐れ」と言うものを生まれながらにして持っているものなので、私と言う自我がそもそも存在していないと言うことは、その両方を意味するため耐えられないんですね。

なので、その「私」=「自我」をどうしても強化してしまいがちなんです。

つまり、分離した世界観がないと自我は存在できないので、それを手放したがらないと言う傾向にあるんですね。

その私(自我)が持っている想いが、ただのエネルギーの現れとして起こっている現象に、いろんな投影をして、意味を持たせていきます。

この辺りは般若心境にも書いてありますね。

ネガティブな想いがあれば、そのように世界が映りますし、逆にポジティブであれば、そのように映ります。

この辺りは引き寄せの法則などと、ある種同じと考えてもいいかもしれません。

しかしですね、このエネルギーの現れである世界は、良い(と思っている)ことも、悪い(と思っている)ことも、天気が移り変わるように常に起こります。

ずっと天気がいいなんてことありえないですよね?

感情も思考も感覚も、実はそれと同じなんです。

つまり、何も問題ない私(この場合は自我)が、常に続くと言うことは、ありえないんですね。

だから、毎日良いこともあれば悪いこともあるし、その見え方は人それぞれということです。

変化するものを見る事が出来るのは常なる存在だけ

上記のツイッターにもありますが、私たちは自分の感覚、感情、思考と言うものに気づいていますよね?

それは、思考ではなくて、自分に気づいている存在です。

そして、常に変化する世界というものを見る事が出来るのは、常なる存在にしか実はできないんです。

(思考(自我)は思考を見ることはできないのです)

つまり、初めから終わりまで在る存在です。

これを神と表現する方もいらっしゃるいますね。

それは「気づきの意識」とも言いますが、私たちの本質、つまり「真我」というものの視点がそれなんです。

今ここにくつろぐ事が出来るようになると、そこには時間もなく、空間もなく、静寂でありながら、幸福で平安で愛に満たされている感覚が感じ取れるようになります。

それが「今ここ」の感覚であり、気づきの意識、真我です。

ほとんどの方は頭の中で思考がおしゃべりを四六時中続けているので、この静寂を感じ取るのは困難かと思います。

だから、昔から瞑想や禅とを行うことによって、それに近づく事をしているんですね。

別に、僕のように瞑想しなくてもワンネスまでは辿りつけると思いますが、その代わり、日々感じる出来事や、沸き起こる思考を、ただ感じて見る、ただ眺めて見る、現れては消えるに任せて見る、と言うようなエクササイズは必要かなと思います。

ダイレクトパスとか、奇跡講座とか、他にもこういったエクササイズは多数ありますので、そのうち紹介できたら良いなと思っています。

輪廻と解脱の意味って?

極論になっちゃいますが、苦悩がなくなると言うことは、私と世界という二元性の世界観を持っている限りあり得ないとも言えるんです。

ちょっと語弊があるかな?笑

例えば、思考と言うものは、今ここの現実に、理由をつけたがりますよね?

今この出来事が起こったのは、これのせいだ!みたいな。

でも、実際には出来事は起こっているだけで、それをどう見るかは、その人の心の投影となります。

これが、僕の解釈では輪廻の一端です。

思考は思考を生み、ぐるぐる回ります。

つまり、今ここにある現実に、「原因と結果」と言う「因果」を持ち込んでしまう思考、これが苦悩を生んでいるんですね。

ポジティブな出来事であれば心地がいいので、あまり原因を考えることもないですし、苦しくなると言うことはまずありませんが、ネガティブな出来事だと、感じたくないものなので因果を作りやすい傾向にあります。

なので、因果の傾向(思考)は人それぞれで変わりますし、大人になってからもありますが、どちらかというと、幼い頃の辛い経験ほど、ネガティブな条件付けやトラウマを生み出しやすいんですね。

今ここにある「気づきの意識」には、今この瞬間しかありませんので、それが起こった原因も結果も存在していません。

つまり、原因も結果もなく、私もいないので、生まれ変わりという概念ももちろん存在しません。

これが僕の考える解脱です。

思考がある限り、神や悪魔もいるし、前世や来世という概念も出来上がりますが、今ここに在れば、時間も空間もないので、生まれ変わりなどという概念は当然当てはまりませんよね?

そう言った世界観があるのは、「私」=「自我」が存在しているからに他なりません。

気づきの意識に寄り添うと言うことは、思考と言う自我が死に、本来の私たちである、気づいている意識に寄り添うことによって、この沸き起こる感覚や感情、思考や心と言ったものに客観的に寄り添い、常に気づいている状態。

そして、この「私」と思える自分自身を好きなように生かしてあげる、二度目の人生のような感覚です。

なので、目覚めという言い方をする方もいらっしゃいますよね?

つまり、私という夢から目覚めて、私と言う人生を楽しむんです。

ここまでくると、苦悩もただ現れては消えるだけなので、とても生きやすくなりますし、今ここの静寂や平安に寄り添う時間が増えるので、今までとは違った人生になるのかなとも思っています。

 

さて、今回は心の仕組みと非二元の教えを交えて書いてみましたが、この世は幻想って本当?でした!

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