一瞥体験は必要なの?




一瞥体験は必要なの?

ども、心のよろず屋とくさんです。

今回は、一瞥体験は必要なの?です。

悟りの一瞥体験って何?

非二元やノンディアリティーとか、悟りの探求をされている方には馴染みのある言葉ですよね?

覚者と言われる方々も、体験されている方が多いですよね。

かく言う僕も、2度ほど一瞥体験をしています。

簡単に言うと、ワンネスの世界観を一瞬だけ垣間見るような体験です。

人によっては、数秒だったり、数時間、数日だったりしますが、一瞥体験というだけあって、そのあとは通常の状態に戻ってしまいます。

体験の感覚も人それぞれです。

僕の場合は、全てが自分を現していると感じ、全て許されていて、平安で幸福な感覚を、数日体験しました。

悟りには一瞥体験が必要なの?

答えは、NOです。

確か、僕も本を読ませて頂いて深く感動した「プレゼンス」と言う本の著者、ルパート・スパイラさんは、一瞥体験をされていないそうですが、素晴らしい方です。

逆にいうと、この一瞥体験をしたせいで、悟りから遠ざかる方もいらっしゃいます。

一瞥と言うだけあって、悟っているわけではなく、悟りの状態を一瞬垣間見ただけなのですが、これを体験したことによって、私は悟ったぞ〜!となってしまうケースもあるんですよね。

自我と言うのはとっても巧妙でして…

こういった「悟った私」と言うアイデンティティーから、「私」と言う自我を強化していきます。

すると、「悟った私」と言うちょっと厄介な自我が形成されてしまうんですね。

なので、この段階では禅や瞑想なんかが役に立つかもしれません。

一瞥体験の落とし穴

一瞥体験をした後に気をつけなければいけないことがあります。

  1. 一瞥体験を悟りと勘違いして、逆に自我が強くなってしまうこと。
  2. 一瞥体験の感覚が悟りと勘違いして、その感覚を求めてしまうこと。
  3. 突然の自分がいないと言う事実に虚無感を感じ、生きる意味を見失う事。

大きく分けると以上の三つでしょうか。

勘違い

1つ目は前述した通り、一瞥を悟りと勘違いしてしまうケースです。

これにハマってる方って意外といると思います。

悟りビジネスみたいな職種ってあるじゃないですか?

そう言った方々の中に、たまにあれ?って思うことがあるんですよね。

悟りを求めている人に限らず、一瞥体験されている方って意外といるんですけど、発言に自我が入り混じっていてるので、的を得ないことや、上から目線なんてこともあるし、神秘体験ってどうしてもスピリチュアルな世界の話なので、そこから地に足のつかないハート重視のスピリチュアル系に走ってしまったり…

なので、一瞥をしても悟りでは無いので、そこはまず、自分の感情や感覚、信念や想いを客観的に見ていくようにして、さらに深めていくプロセスが必要です。

悟りが常に一瞥体験(ワンネス体験)のような状態とは限らないのです。

感覚を求めてしまう

これもあるあるだと思います。

一瞥体験の感覚って、本当に安心で心地よくて、全てに包まれている体験なので、これが悟りで、悟ったらこの状態がずっと続くと思ってしまって、苦悩から抜け出せる!みたいに勘違いすることも多いんです。

また、この感覚でいなきゃダメ!みたいに思ってしまって、逆に自分が苦しくなったり。

どちらにせよ、自我の強化につながります。

なので、現象は常に移り変わるものだと言うことと、ネガティブな感覚や感情が湧いても、それを見るだけにして、否定しないことです。

気づいている自分に寄り添えるようになってくると、自ずとそれが理解出来るようになると思います。

虚無感

これもあるあるです。

僕はこれに見事にはまりました!(笑)

一瞥体験をすると、ワンネスという世界観に触れることになるので、自我(この場合精神)が弱いと、自分がいないと言うことに、絶望を感じたり、死の恐怖を感じたりしちゃうんですね。

人は生まれてから、自分と世界が分離していると感じ始めると、やがて、分離した自分はなんか足りない感じがして、そんな自分はなんかダメな感じがしちゃうんですね。

それが怖いので、自分の価値を高めようと頑張ります。

この自己価値の死に対しての恐れと、生命の死に対する恐れから、人の苦悩が生まれていると言っても過言では無いと思います。

それだけ強い集合意識的な思い込みなので、自我という個人のレベルでも自分の価値の死に対する恐れがとても強いのに、集合意識下の分離した不足感からの恐れや虚無感とも向き合わなければいけなくなるんですね。

これがとってもしんどいのです。

でも、これ自体も、自我が感じていることなんだと、客観的にみる、ただ在ってみる、ということを続けていくと、時間の経過とともに落ち着きを取り戻します。

やがて、気づきの意識に寄り添う時間が多くなってくると、この不足感からくる自我の死に対する恐れ、虚無感も無くなってきます。

どっちでもいい!

これを読んでいただけると、怖いもの見たさもあるかもしれませんが、あんまり重要には感じませんよね?

まずは、気づきの意識に視座が転換するように、気づきの意識に気づき、寄り添うことから始めて行けば、一瞥体験の有る無しに関わらず、同じところまで到達出来る筈です。

そして、この気づきの意識に寄り添う状態を深めていくことがとっても大切です。

なぜなら、まだ先があるからなんですね。

ここから先は、まだ僕も修行中なので、色々とわかってきたら記事にしていきたいと思います。

ちなみに、マインドとハートとボディーのうち、気づきの意識に寄り添うことは、マインドの悟りとも言えると思います。

そして、これは入り口でもありとっても重要です。

と言うことで、今回は「一瞥体験は必要なの?」でした〜

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